元ひきこもり、ADHD。生きづらさを語る。

中学3年間不登校、20代ひきこもり正社員歴なし、そして30代でADHDと診断を下された人間の日記。

自分は引きこもり生活を楽しめる側の人間ではなかった

人によっては

シンプルに解決できそうな問題でも

底の底まで堕ちてしまうと

そう簡単に立て直せなくなるものだ

仕事のことにしたって

引きこもりのことにしたって

自然に出来る人や

出来るようになった側からすれば

出来ない人が

なぜいつまでも出来ないのか

不思議でしょうがないだろうし

怠けにも見えるのだろう

 

インターネットには無理解があふれていて

自己責任論をいちいち主張する輩が大勢いる

そういった理解の無い人たちとは

なるべく関わらないようにしていきたいが

インターネットを眺めていると

どうしてもそういう輩の

無駄に厳しい主張

に遭遇してしまう

 

現実に適合できない

不器用な人間にとっては

逃げ場所に思えたインターネットですら

心が休まる場所ではない

 

ぼくも現実に接する人たちが怖くて

インターネットに自分の居場所を

見出そうとしたが

しかし

最近では現実に接する人たちのほうが

よっぽどやさしいと思うようになった

少なくとも

無駄に厳しい自己責任論を

直接浴びせられる機会など

現実ではめったにない。

 

あれだけ

現実の人たちを恐れていた自分が

徐々に現実との距離感を縮めようとしている

働けるようになって

地に足をつけて生きるということを

ようやく体得出来るように

なったのかもしれない。

 

ぼくはもう30代の中年で

相変わらず孤独で

相変わらず平均以下の収入で

相変わらずの出来損ないだが

いままでの人生で一番気楽だ

 

何度でもいうが

引きこもってた頃の方が

1万倍ツラかった。

引きこもっていたころの不安感に比べたら

労働のツラさなんて

ハナクソみたいなものだと思う

 

インターネットでは

労働への嘆きがあふれているが

無闇に労働から脱したとして

一部の金持ち以外は

また別の地獄が始まるだけにしか思えない。

 

無職、引きこもりを充分に経験したぼくにとって

労働で味わう地獄の方がまだマシだ。

 

 引きこもっていて楽しい生活が

維持できるというのは

よっぽど恵まれた環境にいるか

類まれなる才能だと思う。

 

ぼくには

引きこもり生活をエンジョイできる

財力も才能も人脈もないので

働いていた方が

よっぽど精神的な安定剤になる。

 

そのあたりを

履き違えないように

日々の生活に勤しみたいところである。

 

それでは。