元ひきこもり、ADHD。生きづらさを語る。

中学3年間不登校、20代ひきこもり正社員歴なし、そして30代でADHDと診断を下された人間の日記。

労働への鎮魂歌

歳をとったせいか

感情の乱れが少なくなってきた。

 

引きこもっていた20代の頃は

身動きできないほどの

焦燥感と不安感に周期的に見舞われ

布団の中でうずくまっていた。

 

 社会復帰した当初は

労働への恐怖心から脱しきれず

クビにされてもいいから

仕事を辞めたくて仕方がなかった

自宅で過ごしながら誰とも会わずに

稼げる方法はないだろうか

そんなことをずっと考えていた

 

あれから

何年も経った

ぼくは変わった

いつの間にか変わっていた

いまは

五体満足であるうちは

死ぬまで働けそうな気がしてる

 

働くことへの恐怖感が薄らぐと同時に

自宅で誰とも会わずに稼ぎたいという

欲求もなくなってきた

 

20代の頃まったく働かなかったという

わけではなく

アルバイトはいくつかやってたんだけど

長続きする仕事が一つもなかった。

3ヶ月くらい働くと

その職場での立ち位置が固定されてしまって

ぼくはいつも蚊帳の外にいて

疎外感に弱くて

その上、大して仕事もこなせなかったから

いつも逃げるように辞めていた。

 

いまでも疎外感を感じることはあるけど

だからといって辞めようとはならない

ぼくの人生なんてこんなもんだと

ようやく割り切れるようになったのかもしれない。

 

以前も述べたが

人生が楽しくなったわけじゃない

この生活に楽しさなんてひとつもない

 

楽しさなんてひとつもないが

しかし、それでも

働いて生活していけることに

感謝している

 

それはぼくが

自分自身で掴んだものなのか

誰かの救いの手があったのか

 

いずれにせよ運がよかった

 

だから、今は

その運の流れに乗ればいいだけで

この生活は

楽しくないから間違っているとか

余計なことは考えんでいい

 

 

ぼくがこれからやるべきことは

働きながら自分のやりたいことを見つけだし

働きながらそれに取り組むことだと思う。

 

貯金もある程度はある

数年無職生活を維持できるだろう

仕事を辞めれば自由になれるし

誰とも会わずに済めば

ストレスもなくなるし

貯金を切り崩しながらやりたいことを

模索していけるんじゃないか?

かつてのぼくならそう考えただろう

今なら断言できるがそれはない

 

 

いまやぼくにとって

労働こそが存在理由のひとつになっている

職場では、ぼくのような人間にも

組織の一員として何らかの役割が割り当てられ

最低限の報告連絡相談と割り当てられた役割を

こなせばいい

組織の中にいれば誰かの役に立てる

誰かの手助けを出来るというのは

この枯れ切った生活の潤いにも思えてくるほどだ

 

いま仕事を辞めたとすると

ぼくは自由を持て余し

昼夜逆転

食生活が乱れ

嗜癖に翻弄され

人生にますます意義を見出せなくなり

また焦燥感と不安感に襲われるに違いない

 

友人も恋人もおらず

労働者という役割すら失ったぼくに

何の存在理由があるだろうか

おそらく、自殺するほどの情動すら失い

死んだような生活にハマるだけだろう

 

 

20代の頃は働くことを考えるだけで

死にたくなったが

今となっては

働くことくらいしか

自分に生きる理由を見出せない

 

本当に皮肉なことだが

引きこもっていたころ

あれだけ恐れていた

労働にぼくは救済されたのだ

 

人生というのは

本当によくわからないもんだ。

 

それでは