元ひきこもり、ADHD。生きづらさを語る。

中学3年間不登校、20代ひきこもり正社員歴なし、そして30代でADHDと診断を下された人間の日記。

ぼくたちは解りあえない

誰かにアドバイスされたとき

「あ、はい。ありがとうございます」

と一応感謝を示しつつも

内心では

「ま、どうでもいいけどね

って思ったことありませんか

ぼくはあります

インターネットでも現実でも

無神経なアドバイスが飛び交いますよね

ぼくも

インターネットなどで

人生がツライっていう方をみると

いちいち口を挟みたくなります

自分のしょうもない人生観が

相手に通用するか、試したくなるのです。

 

でも、自分にとっての正解が

相手にとっても正解かだなんて

100%傲慢な思い込みなんですよね

 

インターネットでは

無数の

傲慢な思い込みの押し付け合い

が繰り広げられています。

 

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などなど 

 

どこもかしこも

 

お説教の嵐

 

でうんざりします。

 

このお説教というのが

人を諭したり、励ましたりする

たぐいであればいいのですが

インターネットのお説教の大半は

人をけなしたり、皮肉ったり

言い負かせたり、見下したり

するための口実として

使われているのをよく見かけます。

 

インターネットでは

こうした性質の悪いお説教が

一種の娯楽と化してしまったように

思います。

 

いかに正論っぽい

意見を相手に叩き込んで黙らせるかの

ゲーム場になってます。

 

しかしたとえ

全く隙間のないド正論を

相手に叩き込んだところで

相手が納得するわけないんですよね

 

残るのは遺恨です

 

人間というのはその主張がたとえ

まったくの過ちであっても

命を賭けてでも主張を貫き通そうという

意地というかプライドが

あると思います。

 

時代遅れであろうが

論理的に誤っていようが

自分の掲げた主張を曲げて

相手に屈服するくらいなら

死ぬか、刺し違えるのが

人間ってもんだと思っています。

 

だから

何が正しいか間違っているかという

押し付け合いをすること自体が

不毛におもえて仕方がありません。

 

ぼくが思うに

人間の面白いところは

論理的に正しいことを

あまり

重要視しないところじゃないでしょうか

 

それよりも

自分たちが今まで信じてきたものを重要視して

その時代時代で

とんでもない過ちを犯し続けるまで

突っ走るのが

人類のたどってきた歴史じゃないんですかね

 

 

最近インターネットをみていると

正論とか論破ということばを

目にすることが本当に多くて

(特にYouTubeの見出し画像で)

 

なんだかなぁ

 

とおもう次第であります。

 

 それでは