元ひきこもり、ADHD。生きづらさを語る。

中学3年間不登校、20代ひきこもり正社員歴なし、そして30代でADHDと診断を下された人間の日記。

愛着障害

 

時は経ち、平成も終わり

令和が始まり、そういえば

こんなブログをやっていたと思いだして

1ヶ月ぶりに更新してみた次第です。

 

最近ですが

以前にTwitterをやっていて

再開してたんですよね。

鍵垢なのでわからないと思いますが

ここで吐いてるような愚痴を

吐き出すようにつぶやいていました。

 

愚痴を吐いても吐いても

特に解消されることのない

モヤモヤに苛まれて

ああ、やっぱりTwitter

(というかこのブログもそうですけど)

向いてないなと再認識しました。

 

改めて、リアルな世界に還りたいというか

実際に人と関わりたいという未練があって

でも、ぼくの居場所が一体どこにあるのか

わからないし

自分が誰を必要としていて

誰に必要とされたいのか皆目見当がつかない

そんな状態です。

 

色々と思い悩んでいるうちに

愛着障害というワードが目につきました。

 

どうやら

発達障害と症状が似通っている部分があるらしく

実際のところ、愛着障害なのにもかかわらず

自分を発達障害だと混同して

病院に駆け込む方もいるようです。

 

というか

自分も発達障害と診断はされましたが

そのうちの1人なのかもしれません

愛着障害に関する書籍を読む限り

機能不全家族で育った人がなりやすいようで

乳児期から青年期にかけて

両親の愛情をまともに受けられなかった場合

様々な問題を抱えるというものです

 

自分の実家は

まさに機能不全家族だったかと思います

いわゆる母子家庭でした。

それだけならわりとよくあるケースだと思いますが

母親の内縁の夫とその連れ子と生活したり

実の父親が帰ってきたり、また別れて出ていったり

かと思えば、また違う男が実家に住んでいたり、と

他にも、兄弟が警察のやっかいになるような

問題を起こしたりなど

嫌なことが色々とありました

 

実家に自分の居場所がない状態で

日々ストレスの連続でした

で、あるにも関わらず

社会に適合できず対人恐怖もあり

引きこもってしまったのです。

 

一般的な感覚からすると

居場所がない上に

ストレスが溜まるような

実家なら出ていけばいいじゃないか

という(無理解な)意見もあるでしょうが

しかし、愛着障害という観点で捉えると

自分が社会不適合者となり果ててしまったのも

自然の流れであったように思います。

 

自己正当化する気はありませんが

引きこもるに至る条件は

充分に揃っていたというわけです。

 

それでも 

社会復帰を果たし

居場所がない実家からも脱出し

5年以上経った今もなお

ぼくはまともに対人関係を構築できていません。

 

しかし、これも一般的な感覚からすると

 

お前の努力不足だ

お前に勇気がないから

お前が暗い表情をしているから

お前の話がつまらないから

お前がダサいから

 

という自己責任論で

終わらされる話なのかもしれません。

 

事実そうなのかもしれませんが

 自分としては

そういう次元の問題ではないように思っています

というかそれらの段階以前で躓いていて

それはつまり、両親との関係性が

ぼくの人格そのものをゆがめてしまって

一向に前に進めないのだと思っています。

 

なんというか

人と接するときに

自然な振る舞いというのが出来ないんです

無理をしている感がでるというか

常に空回っている感覚です

言動にせよ挙動にせよ

ありとあらゆる行動が

不自然に見えていると思います。

 

人間は無意識にその違和感を察知するというか

そういう異物を避けようとする嗅覚が

本能的に備わってると思えるくらいに

ぼくは、人と繋がることが出来ません。

 

それがただの努力不足であるのなら

まだ救いはあると思います

そうであれば努力すればいいのだから

 

だけど、この不自然な挙動や

他人から避けられる性質が

両親との関係性が起因となっているのなら

もはやどうしようもないように思います

過去に戻って両親に説教することもできないわけで

詰んでしまったようなもんです。

 

それでも、どこかにきっと

解決に至るヒントがあるはず

(っていうかあってくれ)と

色々な書籍を読み漁ってる最中です。

 

自分が人と繋がっていける未来が

全く想像できませんが

やれるだけのことはやるつもりです

 

このまま死ぬ可能性の方が高いでしょうけど

最期まで無駄な悪あがきしてみます

 

 

それでは

生きる理由

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以前に描いた絵です。

 

今日は休日だったので

部屋の片づけをしていました。

片付けが終わったところで

だらだらと

2時間くらい惰眠を貪って

しまいました。

 

目が覚めると同時に

あーあ

またやっちまった、という

いつもの罪悪感に見舞われる始末。

 

予定がない日は

なるべくコンサータ

飲まないようにしているのですが

(基本、予定などありませんが)

こんな調子だと

休日も飲んだ方がいいのかもしれません。

 

通信制の大学についてですけど

志望の学校が決まってきました。

最近ブログで

過去に描いた絵を上げています

絵は、引きこもり時代から描き始めた

いわば現実逃避の一環でしたが

いまや、自分にとって唯一の趣味ではあるので

どうせなら、絵について学べる

大学に応募しようと思います。

 

色々と調べてみたのですが

通信制の大学は基本、誰でも入れるけど

明確な目標などがなければ

卒業するのはかなり難しいとのことです。

 

それにもし卒業できたとしても

仕事につながることはない、と予想しています。

 

まあ、完全に自己満足ですので

別にそれでもいいか、という感じです。

ただ働いて、食って寝るという

無為な時間を過ごすことが

何よりもキツイので

生きる理由を強制的に投与して

あげたいところです。

 

今すぐにでも

出願したいですが

ネックになるのはやはり

お金のことなんですよね。

 

ノートPCなどの物品や

スクーリングや交通費を含めると

予想よりお金がかかりそうです。

 

学費がすくない

通信制大学であっても

現在の低収入で通うのは

厳しい模様です。

最低でも数年は

いまより質素な暮らしを余儀なくされるので

予定していた引っ越しなども

先送りになるかと思われます。

 

それでも学びたいと

本当におもえるのだろうか?

自分を駆り立てる理由が

まだ少し足りない気がします。

 

出願受付まであと

1ヶ月程度はあるので

真剣に考えてみようと思います。

 

それでは

 

 

 

 

ひとりぼっちの生存戦略

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以前に描いた絵です。

 

自分の今後について
頭を巡らせています。
このブログでは
とっとと死んでやる、などと息巻いていますけど
なんだかんだと愚痴りながら
あと30年は生き続けそうです。

恥ずかしながら
ぼくはまだ
この世に未練がありまして
結局は
人生を継続していくことになるかと思います。

引っ越しについては
今年中に実行したいです。

理想を言えば
家賃~6万くらいの上限で

 

室内洗濯機置場
風呂トイレ別
ペット可
洗面台独立
眺望良好
宅配ボックス

 

の部屋が理想なのですが

ちょっと
今の自分としては
背伸びしすぎなので

 

洗面台独立
ペット可
眺望良好
宅配ボックス

 

という条件は
もっと先の
成長した自分に
期待することにします。

 

とりあえず
次の住処は

家賃~4.5万上限で

 

室内洗濯機置場
風呂トイレ別

 

さえ満たしてくれていれば
いいかなと

 

今、住んでいるところは
一応、室内洗濯機置場はありますが
備え付きのぼろい洗濯機が
エラーが頻繁に出て止まるのが
地味にストレスになっています。

 

風呂とトイレは
ユニットバスで
生活に支障はないのですが
やっぱり
風呂トイレ別の住処には
憧れますので
そこは実現したいかなと思います。


仕事を継続するのは前提として
夏のボーナスが出るころまでには
要らないものを断捨離して
スムーズに引っ越しが
出来るようにしておこうと思います。


進学については
色々と選択肢があって、まだ
見当がついていない状態です。

 

ステップアップとして
通信制の大学で
社会福祉士
精神保健福祉士といった
福祉系の資格取得を目指そうかなとも
考えたのですが

 

ん~、ちょっと待てよ
本当にそれは自分のやりたいことなのかと
頭の中がまだ全然まとまっていないです。

 

自分にとって
どの方向が最適解なのか
慎重にいきたいところですが
もはや自分も歳を食った
中年のオッサンなので
1日が過ぎる体感速度が
若かったころに比べると本当に早くて
しかも、働きながら生活していると
1週間があっという間に過ぎちゃうんですよね

 

だから、慎重さも大事ですけど
次の一歩を踏み出す迅速性というか
行動力を備えておかないと
日常に呑み込まれてしまって
現状維持という名の
衰退を辿ってしまうことになるかと思います。


20代の中盤くらいのころは
実家に引きこもっていて
廃人状態で
食べるか排泄するとき以外は
一日中
ずっと横になっていた時期がありました。

 

あの頃にくらべたら
人間らしい生活が出来るように
なってきています。
あの頃の生活をおもうと、
感慨深いものがあります。

 

以前にも同じようなことを
書きましたが
ぼくは
理解のある誰かの支えが
あってツライ状況からなんとかなった
といったエピソードだったり
書籍やコミックエッセイの類が
死ぬほど嫌いです
(具体的な作品名は挙げませんが)

 

何の心の支えなどない
経済的な余裕もない
孤独な社会的弱者
社会不適合者にとって
理解してくれる
誰かがいたからなんとかなった、という
一見、心温まる体験談は
弱者を励ますどころか
惨めさを増幅させるだけの
雑音でしかありません。

 

申し訳ありませんが
そんな書籍に励まされるような人は
そもそも大して病んでないし
大して窮地にも陥っていないんだろう
というのが個人的な見解です。
自分の私怨による
見苦しい意見であることは承知ですが…。

 

ぼくが
このブログで
あえていいたいことは


いやいや、独りぼっちでも
社会復帰くらいなら

なんとかなるんじゃね?ということです。

 

引きこもりから脱した直後は
体力がなくて
一日中自室で横になっていた状態から
ようやく仕事にありついて
初勤務が終わったあとは
生まれたての小鹿のように
足腰がガタガタ震えたりしていました。

全身を覆いつくす猛烈な疲労感と
仕事や他人への恐怖を抱えたまま
毎日をやり過ごしました。

 

声を掛けられただけで
挙動不審になり
キモイと指をさされるような
醜態を晒し続け
冷ややかな目線を浴び
何回も同じミスをやらかして
あきれられて
憐れまれて

 

一刻も早く
仕事なんか辞めて
また引きこもり生活に戻りたいという
欲求に駆られることも
しばしばありました。

 

それでも
いつか
真っ当な人間になれれば、と
心の中で念じながら
精一杯やり過ごしました。

 

社会不適合者が
社会に適合するためには
失敗を繰り返し
恥を晒し
周りに迷惑を掛けるといった
泥臭い過程を経ることは
必須になると思います。

 

しかし
どんなに蔑まれようと
平身低頭に徹し
黙々と仕事に取り組むことが
出来れば
あとは
時間が解決してくれると思います。

 

いままで出来なかったことが
ひとつ、ひとつ
こなせるようになっていき
怖かったことが
ひとつ、ひとつ
平気になっていくことでしょう。

 

それは
底の底にまで堕ちた
自分のメンタルと、社会生活を
なんとか自分で立て直しつつある
ぼく自身の
個人的な経験談でしかありませんが
理解者などなくとも
人生を修正していけることが
出来ることもあるということは
今後も発信していきたいところです。

 

もちろん
引きこもりから
社会生活を立て直したからといって
幸福になれるとは限りません

 

経歴や年齢にもよるでしょうが
人生につまづいた年数だけの
業を背負うことになります

 

現在のぼくがその状態です
引きこもりから脱し
生活できるようになったところで
虚しいのは変わりません

 

ぼくは自分の弱さによって
引きこもって
人生を停滞させた責任を
一生涯
背負い続けることになることでしょう。

 

貧困家庭で
機能不全家族
親がクソだったとか
運が悪かったとか
ADHDだからとか
どんなに弁明しようとも
一瞬でも人生を諦め
引きこもってしまったことが
現在の虚しい人生を
招いたことは事実です。


それは真摯に受け止めていくつもりです。

 

それでも
働けるようになってよかったと
心から思っています。

 

出来なかったことが

出来るようになってきていることが

とても、ありがたいのです。

 

この先

望むような幸福は訪れないとしても

どうせ生きるのなら

やれるところまではやろうと思います。

 


それでは

人間としての、尊厳

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以前に描いた絵です。

 

「そうですね
数年前まで、付き合ってる人はいましたね
今はいませんけど
色々あって別れちゃいましたね。」

「休日は、基本的には家で過ごしていますかね~
頻繁には会わないけど
たまに合う友人はいますね
ご飯を食べにいったり
お酒を飲みながら
お互いの近況報告とか
駄弁ったりするくらいですけどね」

「結構若いときから
実家を出たんですけど
バイトとかで食いつないでて
そろそろ就職しなきゃなぁっていうのも
あって
ここを受けた感じですかね~」

 

 

というのは
もちろんである
ぼくは自分のことを聞かれたとき

こういう嘘をついて
この社会をなんとか生きている。

その一例である。


実際のぼくは

30歳を超えた
いない歴=年齢の
童貞野郎であり
休日に遊べる
友人ももちろんいない

不登校児で
元引きこもりで
ケアレスの嵐で
職場を転々としていた
ADHDでクソ無能な
クソ人間である。

このブログでは
本音をぶっちゃけているけど
リアルで身の上話を
自分からすることはない

人から聞かれたとしても
最初に述べたような設定で
なんとか誤魔化して
その場を凌いでいる。

 

いや、わかっている
自分を取り繕うような
しょうもない嘘をつくことで
かえって
自分の首を絞めるハメになることくらい
言われなくてもわかりきっている

 

本当は正直に生きたい
ぼくは同性からも異性からも
誰からも相手にされないコミュ障で
どうしようもなくメンタルが弱く
何にも成しえなかった
空っぽなクソ人間ですし
いまはADHDで病院に通いつつ
毎日コンサータ飲んでますが
だからなんです?別にいいでしょ
働いて自立してるし
誰にも迷惑かけてないんだから

 

と、開き直っていられたら
どれだけ楽になるだろう
いつの日か
そんな日が訪れることを
祈るばかりだ

 

それでもぼくは
これからも嘘をつくと思う。
周りからみて
明らかに嘘だとバレているとしても
裏で笑われていたとしても
ぼくは、嘘をつき続ける

 

それはなぜか?

 

同じ人間として接してほしいからだ

 

ぼくにだってプライドがある。
だけどそのプライドは
相手に自慢をするためのものじゃなくて

人として最低限の尊厳を守るための方便だ。


ぼくは
自分を欠陥人間だと自覚しているし
実際に社会不適合者だけど
周りから異常者のように見られるのは嫌だし
そのように扱われたりすることが恐ろしい
バケモノのように
哀れみを持たれることが
本当に怖くてたまらない

 

ぼくのことを嫌ってくれても全然いいし
気色悪がってくれてもいいけど
表面上だけでもいいから←ここめちゃ重要
同じ人間として接してほしいだけなのだ。
本当に、それだけなのだ。

 

社会不適合者の方でも
色々といるだろうと思う。
他人の目なんか全然気にならないし
気にするのもバカバカしいと
サバサバと
生きられる方もいるかもしれない

 

そういう方からすると
ぼくが周りについている
あさましい嘘など
さっぱり共感できないだろうし
反感すら覚えるかもしれない
なぜ
人目などを気にするのかと。
なぜ
自ら苦しい方向へ突き進むのかと
正直になればいいだけだろう、と

 

逆に、ぼくからすれば
人の目を気にせず
生きていける方に対して言えることは

 

同じ苦しみを味合わずに済んで良かったですね。
どうぞこれからも
ぼくのようにならずに生きてください
では、さようなら

 

としか言えない
別に意固地になっているわけじゃなくて
ぼくには
そういう生き方しかできないのだから
解りあえることはないと思う。

 


ぼくのように
惨めな思いをしないように
しょうもない見栄を張って
もだえ苦しみながら
かろうじて生きている人は
極少数かもしれないがこの世にいると思う。

 

過去に恋人がいたとか
(あるいは現在、交際相手がいるとか)
休日は友達と遊んでいるとか
作り話でその場を凌ぎ
人間としての体裁を保とうとしている
”持たざるもの”
この世のどこかに
人間として擬態し潜んでいるのだろう。

 

誰にも本当のことを
打ち明けられず
孤独に死んでいく
そんな末路だとしても

 

同じ人間として
接してほしいと
ただ切実に
願い続けていく

 

多くの人にとって知らなくていいことだし

多くの人にとって関わることもない存在だろう

 

だけど
そんなチンケな人生が

この世にはあるのだということを

ただ伝えたかったんですよ

結構、しんどいんですよと

愚痴りたかったのです。

 

はい。

 

それでは

 

 

こんちくしょう!!!

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以前描いた絵。

 

引きこもりから脱し
無職から脱し
地獄だった
実家からも脱した

あれから数年経ち
仕事の辞め癖も治まった
(と思う)
目立ったミスも減った
(いまのところは)

まだまだ
課題はあるけど
色々と整い始めている

同時に
この生活に飽きて
引っ越しについて
よく考えるようになった

今より、良いところで暮らしたい
一丁前にそんな欲求が
湧いてくるようになったけど
うかつに生活レベルを上げられない
まだ、不安な要素は沢山ある
いつ転げ堕ちるかわかったものじゃない
欠陥だらけの自分のことなのだから
自信など持てるわけがない

だが、このままで
良いとは思わない
何より今の生活は
クソつまらないし
張り合いがまるでない
だから
次の一手を打っていきたい。


次の一手の候補として
進学について考えている

進学といっても
多種多様あるし
自分の中でも
どうすればいいのか
まとまってない
堅実に資格取得を重視するか
興味のあることを学びたいのか

それに生活もあるわけで
今の仕事を辞めるわけにも
いかないので
受けるとしたら
働きながら通える
通信制の学校になるだろう。

通信制の学校で学んで
卒業資格を得たからといって
何かが変わるだなんて思ってない
そこまで楽観的に考えてもいないけど
今の生活を維持させるよりは
まだマシかなとは思う。

我武者羅に動いていきたいと
心ばかり先走っているが
自分自身を奮い立たせるのは至難の技だ。
こんな空虚な生活に
心地のよさを見出している自分が
恐ろしいし
その恐ろしさすら感じなくなってきていて
心底嫌気が差している。


学びたいことは色々ある。
それを粛々と独学ができるのならいいが
十中八九モチベーションが持たない
自由にやれ、楽しめ、やりたいことをやれ
と言われても
そもそも何が楽しいのか
何が心地よいのか
今まで引きこもっていた
ぼくにはわからない

怠け者のぼくには
自分を動かす理由が必要になる。

そのために、何らかの
課題や期限を与えられる状況があった方がいい
だから、お金を払って学校にでも通い
自分に枷をはめたほうが動きやすくなる

仕事だってそうだったけど
自分を追い込んでくれるものがなければ
ぼくは動けない。
理由がなければ動こうと思えない。

 

好きな人が居れば、支えあえる人がいれば
自然に頑張ろうと思えるのかもしれない
そんな存在があればいいのに、などと
むなしい妄想することが未だにある

 

だが残念だがお前はひとりだ
頼れる家族も友人も恋人もいない

今後できる望みも薄い

ただのしょうもない

誰からも必要とされないひとりものであり

生きようが死のうが存在を認知されない

透明人間でしかない

それにぼく自身

誰を必要としているのかわからない

よくわからない、いない存在を

待ち焦がれるのもバカバカしいし

このどうしようもない

寂しさに苛まれ続けるのも

もうウンザリだ

いつまでめそめそと

さびしいさびしい

言ってんだ

気色悪いんだよカスが

(↑自分自身への喝です) 

 

だからこそ
自分の性質を知り

それを逆手にとって
一手を打っていかなければならない

自分が動く理由を自分で作り
自分で自分を必要とし
意図的に
自分を動かしていかねば

ぼくは死んだも

同然の存在であり続ける

 

元ひきこもりだろうが
ADHDだろうが、関係ない
最期の最期に

生きていて良かったと言える
自分をなんとしてでも
掘り起こす

 

そうしたら
こんなゴミみたいな人生
さっさと終わらせてやる

だから動けよ自分

動いてくれよ自分 

こんちくしょう!!!

恩義

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以前に描いた絵です。

 

仕事終わりに

深夜まで営業しているカフェに寄り

スマホで日記を書いている。

 

そんな、なんでもないことが

ありがたく感じる。

 

引きこもっていたころは

なんとか働かずに済む方法が

あればと思っていた

働きたくないわけではなく

ケアレスミスを繰り返し

単純な作業すら

そつなくこなせない

無能な自分に

就ける仕事などないと

本気で思い込んでいた

30歳で学歴はもちろん

履歴書に書けるような職歴もなく

一体、どうすればいいのかと

毎日、頭を抱えていた

 

あの頃から

ずいぶん経った

半年仕事が続けば

良い方だったぼくが

同じところで

何年も働き続けている

今となっては働くことよりも

働けないことの方が

恐ろしいくらいだ

 

引きこもったまま

誰とも会わずに稼げる方法は

ないのだろうか?

あの頃は

そんなことを本気で考えていた

 

雇われずに個人で稼いでいる人や

ニートをしながら

ネットで稼いでいる人たちの

ブログなどを見て

自分もそうなれればと

憧れたものだ

 

だけどぼくは

仕事が嫌だったわけじゃなくて

仕事がしたくても

まともに働ける能力がないだけの

社会的弱者だった

 

なんとか

職にありついたぼくだが

最初は何度も挫けかけた

失敗の連続で

職場で泣き崩れたことや

退職させてくださいと

懇願したこともあった。

 

今、こうやって

仕事を継続して

自立できていることが

自分の力だけで

成り立っているなどと

思ってはならない

 

職場の人たちに

迷惑をかけまくり

支えられ

助けられたからこそ

こうやって

仕事の終わりに

カフェに寄り

コーヒーを飲みながら

ブログなどを

つづっていられるということを

決して忘れてはいけない

 

孤高でもなんでもない

ぼくはただの弱者であり

一人じゃどうしようもない

無能であることを

胸に刻み

今まで迷惑を掛けた人たちに

感謝していくこと

 

心の底では、いつか

自由になれる日を

夢見てるけど

 

愚痴らず
精一杯働くことだ
ぼくに出来る恩返しは
それくらいなのだから

 

卑屈にならず

悲観に明け暮れず

良いことがあろうと

なかろうと

慎ましく真摯に

やるべきことを

淡々とやっていけるように

至難ではあるけど

いつかそんな風に

生きていければと思う。

 

 

それでは

 

 

 

 

 

 

バッドエンド

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以前に描いた絵です。

 

2019年1月27日

某国家試験が終わり

試験という精神的な抑圧から

解き放たれた。

そしてコンサータのおかげで

日常生活も落ち着いてきた。

 

最近は趣味だったお絵かきを

再開しようと思えるくらいに

色々と安定してきている。

 

ぼくには

やりたいことがたくさんある

 

体を鍛えたり

色々な映画を観たり

楽器を始めてみたり

旅行にいったり

風景を撮ったり

 

今よりマシなところに住んで

いつか、猫を飼ってみたい。

そんな、目標もある。

 

ああ、そうだった

生きたいと思える

理由が

こんなにも残っていた。

 

死ぬのは

思いつく限りのことを

精一杯やり切ったあとにしよう

 

人生を嘆いている場合ではない

時間は容赦なく過ぎていくのだし

もっと真剣に生きねばならん

 

希望は苦手だ

何かを期待し何かを望むほどに

惨めな思いにさせられる

 

絶望はとても心地が良い

絶望をしていると

少しのことでも

ありがたいと感じられる。

ただ、働いているだけで

こんな惨めな自分を

赦せる気がしてくる。

 

自分にとっては

絶望こそが

相応しい境地なのかもしれない

希望など抱いたところで

拭えない嘘臭さが残るだけだ

だからぼくは

絶望したまま

泥臭く生きてやろうと思う。

 

 

絶望しながらでも

ジタバタと足掻いてやる

どうしようもなく弱く脆い

自分自身に復讐をしてやる

そんな風に思う。

 

力の限りを出し尽くし

この呪われた人生を

最期はきっちりと

自分の手で命を絶てるように

もっともっと

絶望しなきゃならない

 

絶望、どんとこいだ

 

とはいえ

愚かなぼくのことだから
いつかまた

どうしようもなく落ち込み

他人を妬み、羨み
自分を憐れんで
また不幸に浸ってしまう時が

くるだろう


それでも

何回だって立ち直ってやるさ

自分で自分を慰め

這いつくばってでも起き上がる
引きこもりから脱した時も

いつだって

そうしてきたのだから

きっと大丈夫

 

もう終わったような

人生だから

きっと大丈夫さ

 

 

それでは。